昭和16年12月8日の大東亜戦争の開戦を、
それは、
当時の日本人の声の断片を掲げる。
太宰治
「『大本営陸海軍部発表。
西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れ
しめ切つた雨戸のすきまから、
2度朗々と繰り返した。
それを、ぢつと聞いてゐるうちに、
強い光線を受けて、
あるひは、
日本も、
(小説「12月8日」より)
坂口安吾
「僕はラヂオのある床屋を探した。
やがて、
客は僕ひとり。
言葉のいらない時が来た。
一兵たりとも、
(小説「真珠」より)
武者小路実篤
「12月8日は大した日だつた。
僕の家は郊外にあつたので11時頃迄何も知らなかつた。
東京から客が見えて初めて知つた。
『たうたうやつたか』
僕は思はずさう云つた。
それからラヂオを聞くことにした。
『今なら喜んで死ねる』とふと思つた」
(随筆「12月8日」
高村光太郎
「大詔(おほみことのり)のひとたび出でて天(あま)
見よ、一億の民おもて輝きこころ躍る。
雲破れ路ひらけ、万里のきはみ眼前(まなさき)にあり」
(「
与謝野晶子
「水軍の大尉となりて我が四郎み軍(いくさ)
北原白秋
「天皇(すめらぎ)の戦(たたかひ)宣(の)
とよみゆりおこる大やまとの国」